
こんにちは、中山です
私はこちらの記事でも紹介したように、過去にベジタリアンとして暮らしていたことがあります
現在はやめてしまいましたが、そういった客観的にもベジタリアンを見れる立場でも、現在の日本ではベジタリアンやビーガンの文化は批判されている用に感じます
あくまで自己責任として対応できる文化の多様性の一つのはずなのに、なぜここまで批判されるのでしょうか
関連記事:ベジタリアンは、今後も日本では広まらないけれど必要なのでは
目次
食生活はあくまで自己責任
ベジタリアンやビーガンは、あくまで食生活の一つです
例えば、肉が好きでたくさん食べる人もいるでしょうし、甘いものが食後にないと不機嫌になるという人もいます
他にも、体質的にお酒が飲めないという人もいれば、牛乳を飲むとお腹を下しやすいからできるだけ飲まないという人もいます
ベジタリアンは、そういった好みや体質と同じような文脈で語る事のできる食べ物の選択の一つです
自分で選んだ選択の一つであり、そこから生じる問題の全ては自己責任で収まる範囲のものです
そこに、他者が批判をする余地というのはないのです
栄養の問題は、完全に自己責任
ベジタリアンやビーガンについて、栄養面での議論がよくされています
本当は健康ではないのではないか、人間として不自然な食生活なのではないか、ということが議論されていますが、それはあくまで自分自身がどういった食事を選ぶのかというはなしであり、自己責任の問題でしかありません
例えば、高カロリーのものが好きで、明らかに体重が多いにもかかわらず食べ続けるという人もいますが、そういった人と同じようなレベルの自己責任として片付けることができる話です
また、親がベジタリアンであることで、子供にも同じような食事を共用するというケースにも批判があるかもしれません
そちらに関しても、太っている子供に対して、きちんとした食生活をさせていないのではないかという批判と同じような批判で、確かに良くないことではあるかもしれませんが、そこまで批判されるケースでもないように思います
あくまで、親の育児能力責任として片付けられることでしょう
ベジタリアンに対する栄養価の批判は、限りなく自己責任で他人が干渉するほどのことではないのです
肉食文化を批判するベジタリアンは、ほんの極小数
ベジタリアンが批判される理由として、肉食文化の否定もあるでしょう
確かに、ベジタリアンの中の一部には、自分だけでなく他人が肉食をすることが許せず、そういった人たちに対してデモ活動のようなことをしている集団がいます
ただ、そういったベジタリアンの中で自分だけでなく他人の食生活に干渉しようとする人は全体の本当に少数です
基本的に大半のベジタリアンは、あくまで自分の選択として菜食生活をしており、他人の食生活をしている人は殆どいません
過去の私もそうでした
そういった、ごく少数の偏った思想を持っている人のことをあたかも多数派のように扱い、ベジタリアンは他人の食文化を批判している、というような議論になるのはおかしいように感じます
まずはじめにベジタリアンに対する批判ありきで、都合の良い批判材料としてそういった攻撃的な他人に干渉するベジタリアンがやり玉に挙げられているのではないでしょうか
ベジタリアンが増えることで、肉食文化は何も変わらない
ベジタリアンを批判する人は、ベジタリアンが増えることで日本の食生活が変化してしまう、肉が思うように食べることができなくなってしまう、と心配しているということもあるでしょう
しかし、ベジタリアン文化が深く根付いているロンドンやニューヨーク、そしてインドなどでは、ベジタリアンの文化があることで肉食の文化が侵食されているということもありません
ロンドンやニューヨークでは、ベジタリアンのレストランと肉料理屋が同じように街のいたるところにあります
ロンドンでは、インドカレーに通常であれば入れないはずの牛肉や豚肉を入れたメニューが定着していたりと、本来のベジタリアンメニューが肉食にアレンジされているということもあります

ベジタリアンが古くから根付いているインドでは、州によってその強弱はありますが、基本的に完全に肉が禁止されているという場所はありません
あくまでベジタリアンは各自の食のスタイルの一つで、他人に押し付けるものではなく個人で選ぶことのできる選択肢の一つでしかないのです
ベジタリアンの文化が根付くことで、肉食文化が駆逐されてしまうということはないのです
多様性を認めることが、自由な社会への第一歩
ちょっと日本社会批判的なことを言ってしまうと、日本社会の多様性に対する柔軟性のなさや、同調圧力の強さがベジタリアンに対する批判を生んでいると私は考えています
あくまでベジタリアンは個人の選択の自由の一つで、自己責任でかたづけられることであり、他人がどうこう言うことではないのです
多様性を認めない、ということは、その分だけ不自由な社会ということです
自由な社会になるために、もっと多様性を認めていく必要があります
今後、グローバル化する世界の中で、ベジタリアンだけでなく、例えばムスリムの食文化、ユダヤ人の食文化など、多様な食文化を日本でも理解して行く必要があるでしょう
食文化だけでなく、あらゆる文化に対して、寛容性はより求められるようになるはずです
そういった多様な文化を認めることが、自由な社会をつくるためには必要な心がけです
まとめ : ベジタリアンへの批判は今後もつづく
多分、今後も日本ではベジタリアンは肩身の狭い立場であり続けるでしょう
日本的な同調圧力もあるでしょうし、なんとなくベジタリアンは批判するものという空気感もあるように感じます
今後、そういった状況が少しでも変わり、多様性を認める社会になればいいなと感じています
ほいでは!