正義は押し付けられるもの。石野卓球のように押し付けられる正義から身を護るにはどうすればいいのか。


こんにちは、中山です

ネット上でのいろいろなトラブルを見ていると、正義の名のもとにさまざまな個人攻撃をしている様子がどうしても目についてしまいます

近年では、とあるミュージシャンが薬物で逮捕され、本人や関係者に対して、必要以上に謝罪や反省、自粛を求める様子が話題になりました

私個人に置いても、ネット上でビジネスをしており、やっていることが倫理的にちょっと倫理的に問題なのでは、と全く関係のない人に問い詰められるということが近頃ありました

(これは配送日時に関するちょっとしたトラブルで、現在は完全に解決しています)

そういった、正義に対して、私達はこれからは身を護る立場になりつつあるのではないでしょうか

正義が簡単に押し付けられる時代に

ここ数年で、個人の発言の力は非常に強くなりました。

ちょっとしたことでも、twitterなどのネット上で発言をして、支持を集めることができればそれはリツイートなどで一気に広がり、言葉としての強い影響力を持つようになります

たとえ発言したのが有名人や発言力がある人でなくても、言葉のちからだけで他者に伝わることがようにとなりました

そういった中で、特に発言をしやすく、そして影響力を持つのが正義の発言です

社会から悪とみなされた人に対して、その人を断罪する、批判するというのはとても簡単な上に安全です。

批判対象は社会的に悪と確定しているため、批判する側は反論を受けることはありません

その上、正義を振りかざしていれば自分の発言の力を感じることができ、それ自体も娯楽になります

橘玲氏の著作によると、正義を振りかざして他人をバッシングすることで、人間の脳はドーパミンなどの化学物質が発生し、それはドラッグを摂取しているときやセックスをしているときと同様の快感を得ることができるそうです

スマホなどからちょっとした発言をして正義を振りかざして糾弾をする行為はとても安全な上に手軽です。

その上に、薬物を摂取しているほどの会館があるのであれば、する人が大量にいる現在の状況は至極当然の状況なのでしょう

正義の力は、時として私達の暮らしを窮屈に

そういった言葉による正義は、時として私達の実生活にも影響を及ぼします

今回、その薬物使用で逮捕されたミュージシャンは、過去の作品が発売停止となり、今後の収入のあてを絶たれてしまいました。

彼はすでに逮捕され、今後は裁判を行われ、法の上で裁かれることになります

それで法治国家である日本では十分に罪を償ったはずなのに、それ以上の断罪を、他者からの正義によって受けることになるのです

こういった大きな話だけでなく、小さなところに正義は発生してしいます

先日、私の友人がちょっとした海外旅行での裏技のようなことをネット上で発信しました(倫理的にほんのちょっとだけ問題があることなので詳細は控えます)

すると、そんなことをしていいと思っているのか、あなたはそのようなことを実際にしているのか、というようなコメントが次々とやってきて、彼はそれ以上、その件について発言をすることができなくなってしまいました

彼のその裏技は読み物として面白いものだったのですが、おしつけされる正義でそのようなちょっとした面白いことでも、世間に発信できなくなってしまうのです

正義から、身を守れる人、守れない人

私は、最近は石野卓球氏の言動にいろいろと感銘を受けいてます

彼は音楽ユニット、電気グルーヴの相方が先日逮捕されてしまい、それ以降、マスコミからも注目され、ネット上でもいろいろと話題になっていますが、特にそれに対して謝罪をしたりするようなことはなく、自信の発言をし続けています

確かに、逮捕をされたのは氏の相方であり、本人は関係のないことなのですが、近年は正義を押し付けされた芸能人がとりあえず謝罪をするという、ある種トレンドのようになっているとりあえずの謝罪を、氏は全くしていません

これは、氏のキャラクターということもあるでしょうが、氏がミュージシャンであるということも大きな要因のひとつなのでしょう

芸能人であると、なにか自分のイメージや社会的影響、そしてその周囲の人間関係なども考慮して当たり障りなく活動を続けることが第一です

そのため、不祥事に対する抵抗力は弱く、例えば同グループのメンバーの不祥事に対する批判など、おしつけされは正義に対してもただ謝るしかありません

これは、芸能人だけでなく、サラリーマンなどでも同じ立場と言えるでしょう

批判に対する立場が非常に弱いため、正義を押し付けれれると謝罪するしかないのです

これに対して、石野卓球氏のようなミュージシャンは立場が違っています

ミュージシャンは音楽をつくり、音源を売ったりライブの集客人数が多ければよく、少人数でもファンを囲い込めればいいというビジネススタイルのため、世間一般のイメージを維持するためにとりあえず謝罪をする、というようなことをする必要がありません

こういった、狭く深くのファンを対象としているミュージシャンという立場だからこそできる押し付けられる正義に対する姿勢だと言えます

私のような小規模のフリーランスも同様です

私は、少数のファンに対するビジネスはしていませんが、世間一般のイメージを大切にしたり、周囲の人間関係を意識して自身のイメージを気にする必要は基本的にありません

全ては自己責任なので、自分の言動で世間がどう思うか、そしてそれによって自分の生活にどのような影響が出るのか、というのはすべて自分で決めることができます

たとえほんの些細なことで正義を押し付けられる状況になったとしても、自己責任で、そんなこと関係ない、と開き直ることが可能なのです(もちろん、完全に違法なことはダメです)

そういった、押し付けれれる正義に対して、身を守れる立場の人、身を守れない立場の人というのが、はっきりと別れてるのが近年の状況です

正義から身を守れるか。それが人生の進路を選ぶ要素の一つに

今後も、こういった押し付けられる正義というのは存在し続け、そして強くなっていくことになるのでしょう

そういった世間の流れの中で、自分がその押し付けられる正義からどのように身を守るのかというのも、今後は進路を選ぶポイントになりそうです

人間である以上、ちょっとしたことで倫理観から外れてしまうこと、人からおかしいとおもわれるようなことをしてしまうのは仕方のないことです

そういったちょっとしたことをどこまで許容してもらえるのか、それはサラリーマンになるのか、それとも自営業になるのかで今後は大きく変わってくるでしょう

そういった要素が、今後は自分の人生を選ぶポイントの一つになっていくのでは、そう私は予想しています

まとめ:正義は正しい。しかし人は悪いことをする生き物

正義というのは本当に扱いの難しいものだなと私はつくづく思います

社会的倫理における正義などでは、絶対的に正しいことでありながら、それを突き詰めてしまうと非常に息苦しい世界になってしまいます

正義を尊重するあまり、ルールにがんじがらめの、閉塞感のある社会は決して幸せなものではないでしょう

人間は、多少ルーズな部分、倫理的にズレた部分、ちょっとおかしな部分があるから面白いし、楽しく暮らすことができるのです

今後、ますます増えていくであろう正義の名のもとでのルールや圧力に対して、個人がきちんと考える時期に差し掛かりつつあるのでは、と私は感じます

ほいでは!


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