日本人が子供でもいいとき、大人にされられるとき


こんにちは、中山です

先日、インドとバングラディシュを旅行しました

都市から都市への移動は電車を利用しましたが、御存知の方も多いでしょうがインドなどでは電車の車両が非常古く、走っているときにも開きっぱなしです

高速で走る電車のドアが空いていると落ちてしまいそうで非常に危険ですが、改善されることもないようです

自分の身は自分で守る社会

電車に限らず、インドでは日常の中で気をつけていないと怪我をしてしまうような場所が多くあります

道路を渡るだけでも集中して車を見極めなければいけませんし、遺跡や自然公園では足を踏み外したら落ちてしまうような場所もそのままで放置されています

インドでは、危険なものは危険なものとしてそのままのこされていることが多く、人々はそれを気をつけて生活しています

一人ひとりが自分の安全を守る事ができるほどに大人であることを当然とされているのです

インドほどでなくても、海外にはこうした自己責任を前提にした社会制度がとられている場所が多くあります

ちょっと使いづらく、そして間違ったことをしたら自分が責任をとらないといけないような状況でもそのままにされている場面は、世界のあちこちで見ることができます

参考記事: ヨーロッパの電車の自己責任の形

日本の社会は、子供向け

それに比べ、日本の社会設計は非常に安全で、そして簡単にできるものばかりです

同じように電車を比較すると、プラットフォームには安全策がつくられ、気をつけてくださいというアナウンスが何度も流れます

電車に乗っても、次の駅や目的地までのアナウンスがなんども流れ、深く考えずに乗っても間違えることはありません

万一間違えたとしても、駅員さんがいたるところにいるのですぐに正しい方向を教えてくれます

電車だけでなく、飲食店の極端に丁寧なサービスや至ることろにある案内標識など、日本では特に深く考えることをしなくても生活できてしまう、子供一人で街に出ても、特に危険な目に合うこともなく、行きたい場所に行くことができ、そしてしたいことができるような非常に子供向けの社会になっています

お小遣いで子供がおとなになれる

こういった社会の構造は、私は日本のお小遣いの制度が一つの原因かとは思います

中学生や高校生のような子供がお小遣いをもらうという文化は世界的にも珍しく、アジアの一部しかありません

ヨーロッパやアメリカではアルバイトをできるような年齢になるまで自分でお金を自由に使うということがなく、それまでは全て欲しいものは親に頼んで買ってもらうことになります

そのため、街に出るのもいつも親と一緒で、常に親に面倒を見てもらう必要があるのです

そして、自分がお金を稼ぐになると親にお金をせびることはやめ、自分で買い物をするようになります

子供の時期と大人の時期がしっかりしており、それぞれの時期で見えている社会が違うわけです

それに比べて、日本の子供は小さい頃からお小遣いをもらえるので、ある意味で大人と同じ立場で社会に出ることができます

例えばコンビニでは、子供が来ても商品を買うようであれば敬語で接し、丁寧な接客をしてます

少額でもお金を自分で使って大人と同等のサービスを受けることができてしまうのです

どちらがいいという話ではありませんが、そういった子供からみた社会のちがいが、日本と他の国とでの違いとして現れているのではないでしょうか

日本人が大人になる時

そういった日常生活では子供でもいられる日本ですが、うってかわって仕事をするときには極端に大人であることを求められます

海外で、飲食店でのサービスが日本と全く違うことが印象に残る場合も多いのではないでしょうか

低価格の飲食店ではそこまでサービスは重きを置かれておらず、多少失礼な言動を顧客にしても問題ではありません

スタッフ通しが業務中に会話をしている場面も当たり前にあります

他にも、スーツにネクタイのような正装をビジネスで求められるのは世界基準ではほんの限られた場面でしかありませんし、上司に対して極端に気を使うのも日本独特の習慣です

ビジネスの場面では日本人は極端にルールに従うことを求められ、そして自分の感情を出すことができず、大人の対応をし続けないといけないのです

日常生活ではほとんど何も考えることなく暮らすことのできる日本で、極端に大人であることを求められる場面というのとビジネス面でいたるところに見つかります

1人の中に大人と子供が共存している

日本では、こういった場面によって子供で入れる場所、そして大人でないと行けない場所が極端に存在しており、ときにそのスイッチの切り替えは難しいです

飲食店で、店員に文句を言っている人を見ることがよくありますが、そういった人もきっと職場ではそんな感情的にならず、大人として仕事をしているのでしょう

そういった、大人と子供が1人のなかに共存しているのが、日本社会の奇妙な点です

ある意味では子供の心を忘れない人が多いとも言えますが、ある意味では子供っぽい大人を基準にしてルールや構造をつくらないと行けない社会とも言えます

まとめ:解決のための大人になる儀式

こういった状況が変わるために、私はなにか成人の儀式のようなものをきちんと作ったほうがいいと感じています

ヨーロッパやアメリカでは、自分のお金を稼ぐようになった瞬間から大人としての社会との関係ははじまります

これだけでなく、ユダヤ教徒はバル・ミツワーという成人の儀式がありますし、バンジージャンプも成人の儀式です

日本では、子供から大人になるというはっきりとしたポイントがないため、こうした内部に子供を残し続けた大人が多くいるのではないでしょうか

昔は、社会人になって社員研修がおとなになるための儀式に近かったのでしょう

サラリーマンとして上司の理不尽な要求に耐え、そして会社という組織に所属することで自分が大人としての自覚を得ることができました

しかし、派遣社員が増え、そして社内でもコンプライアンスが求められるよう担った現在では、昔のように、儀式と言えるほどに強い形での社内研修はできません

そういった要因も子供っぽい大人が増えている原因の一つでしょう

そういった社会を変えるため、なにかはっきりとした大人の儀式があるとよいのでは、と私は感じました

ほいでは!


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