物乞いにお金を渡すのは正しいのか


こんにちは、中山です

現在バングラディシュを旅行しています

この国は、アジア最貧国の一つということもあり、道端にはかなりの数の物乞いがいます

街のいたるところにいる物乞い

インドからバングラディシュにやって来ましたが、こちらの国の物乞いの数はインドのそれの数倍以上です

街のいたるところに物乞いが座っていて、私の服を引っ張るようにしてお金をねだってきます

物乞いの種類も様々で、子供から老人まで、そして顔中に吹き出物のような病気も持った人から手足のない人と、様々な人が私に声をかけてきます

それぞれに事情があるのでしょうが、その顔はどれも曇っていて、上目遣いをしながらこちらの服を引っ張る仕草を見ていると胸が締め付けされるような思いです

物乞いにお金を渡すことは、本当に正しいのか

そうしてお金をせびられた際に、財布の中からちょっと小銭を出して彼らに渡すのは簡単です

ほんの数十円の金額でも、彼らにとってとても貴重な収入になるのでしょう。ちょっとした食事が取れるだけでも助かるはずです

しかし、そうして簡単にお金をあげてしまうことが、本当に正しいのかというのはいろいろな話を聞いていて考えさせられます

まず、こうしてお金を簡単に上げてしまうことで、そうした物乞いの勤労意欲をそいでしまうのではないでしょうか

物乞いの中には、五体満足の人もたくさんいます

そういった人が物乞いをしている事情はそれぞれあるのでしょうが、どんな仕事でもコツコツとして働けば、飢えない程度のお金は稼げるはずです

私が簡単にお金を上げてしまうことで、そういった人に物乞いとして生きる道をつくってしまい、ただ路上に座るだけの無気力な人生にしてしまうということもあるのではないでしょうか

バングラディシュの路上には不自然なほどに四肢のない人もたくさんいます

貧しい国では、親などが物乞いを効率よくするためにわざと自分の子供の四肢を切り落とすということもあるようです

ダッカの路上にいる不自然に多い四肢のない物乞いの姿を見ていると、この国でもそういうことが日常的に行われているのではと感じます

物乞いにお金を渡すという行為をすることで、その行為に甘えるためにこうして不幸な人生を歩まなければならない人もでてきてしまっています

貧しい国では、物乞い自体もビジネスとして成立してます

多くの物乞いがいる地域では、複数の物乞いをまとめるグループがいて、そのグループがお金持ちや観光客が多くいる物乞いをしてお金が手に入りやすい場所に物乞いを置いて受け取ったお金を全て奪い取ってしまうという、お金儲けのために物乞いを利用している場合もよくあります

こういった地域で物乞いにお金を渡しても、ただそのグループのビジネスにお金を渡しているだけとなってしまいます

私がお金を渡すだけでは、何も世界は変わらない

私一人がほんの僅かなお金を出しても、物乞いがいる世界はほとんど変わりません

一人の物乞いを完全に救うには、ある程度まとまった額のお金が必要です

ダッカだけでも数え切れないほどいる物乞いの全てを救うには、私がほんのちょっと財布の紐を緩めただけでは何も意味がないのです

眼の前にいる物乞いの姿に胸が傷んでちょっとしたお金を渡すという行為は、ただ自分のその胸の痛みを和らげるための自己満足にすぎず、ほとんどその行為はこの世界にとって意味がないものです

私の場合は、ほんのちょっとだけのお金は渡しています

そういった事があっても、私はほんのちょっとのお金は物乞いに渡すようにしています

それは相手を救いたいとか、日本に生まれた自分が恵まれているからとかそういった大した理由などではなくて、本当にちょっとした挨拶のような感覚です

こんにちはと言われたらこんにちはと返すように、服を引っ張ってこちらにお金をねだられたのだから、無視をするのではなくてほんのちょっとだけでもお金を渡すのが礼儀なのではないかという感覚です

その代り、渡すお金は十円とか二十円とか、そういった本当に少額です

また、それには私なりにルールがあって、五体満足の若い人には渡さず、もう努力しても生活費を稼ぐことすら難しそうな、四肢がなかったり老人の物乞いにだけお金を渡すことにしています 何が正しいかというのはわかりませんが、私は自分に対してはこうしたルールをつくるようにしています

世界はほんの少しずつでも良くなっている

バングラディシュの前にはインドに滞在していました

西ベンガルのコルカタという街を訪れるのは二回目で、数年前に訪れたときには路上には物乞いが溢れていて、私がタクシーに乗っているとその窓からはひっきりなしに物乞いの手が差し込まれていました

電車に乗れば、物乞いが車内をあるきまわり、まるでファッションショーのように順番に並んで自分の欠損した四肢を見せて周囲からお金を受け取っていました

数年ぶりに訪れたコルカタはそういった昔の光景が変わっており、路上の座る物乞いの姿もかなり減り、電車内での物乞いの姿もなくなっていました

ゴミだらけだった町並みがきれいになっていて、町の郊外にはアメリカ映画に出てくるような高級住宅街が続いていました

経済は間違いなく発展していて、そしてその成長は経済的な弱者である物乞いたちにも恩恵をもたらしていることがはっきりと分かる街の景観の変化でした

この数年の、私が日本で暮らしていた間にも世界は間違いなく良い方向に進んでいると感じさせてくれた瞬間でした

まとめ

物乞いに対して、さまざまな対応があるのかもしれませんが、何よりも大切なことは気づいている、ということなのではないかと思います

その存在にきづいていないと、そこから何も始まりません

その存在に気づき、そして認めて彼らに対して思考を巡らせてみるところから、全ては動き、変わっていくのではないでしょうか


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする