日本は今後、説明や注意書きだらけの国になっていくのか


こんにちは、中山です

先日、とある国を旅行していて、スーパーの安全対策の厳重さに驚きました

とても厳重なセキュリティチェック

そちらのスーパーでは、入店前にロッカーに自分の手荷物を預けなければなりません
自分の手荷物を預け、代わりに手提げ袋とタグを受け取り、商品を購入してからまたそこま戻ってきて、タグと引き換えに自分の手荷物を受け取り、手提げ袋に入った商品を移し替えなけばなりません

万引き対策として行なっているのでしょうが、かなり厳重な対策でした

安全対策は、すればするほど不便

いうまでもなく、こういったセキュリティが厳しい場所は滞在していて心地よくありません
上記のスーパーの場合も、手荷物を預ける際に時間も手間もかかりますし、例えばハンカチを手荷物の中に入れて預けてしまったら買い物が終わるまでそちらを取りに行くことはできません
安全対策を重んじるばかりに、利便性がかなり失われてしまっています

先日、日本の新幹線にも荷物検査を導入するべきではないかという意見を耳にしました。
確かに、テロなどの対策のために乗車前に荷物検査をするのは非常に有効な方法です。しかし、もし実行されるとなると乗車までに時間がかかることになり、手間も取られます
時間当たりの新幹線の本数も減るでしょうし、人件費もかかります
いまのような代金、時間スケジュールでの新幹線の運行は不可能になり、それは非常に不便になるでしょう

安全面だけでない、文化の違いを確認するコスト

先日、バスに乗っていてそちらにて英語での注意説明が非常に多いことにも気づきました。
トイレを綺麗に使ってくれ、靴を脱ぎ散らかさないでくれ、子供が泣いたら親が注意をしてくれ、車内でタバコを吸わないでくれ。
そういったような、日本の文化としてはあり前のことでも、異文化の人からしたら注意されないとわからないことも多くあります
そういった人たちに我々の文化を説明し、その場その場でのルールを説明するというコストが年々至る所で発生するようになっています

言わなくてもわかるという、人を無条件で信用する場面は年々少なくなっていく

我々日本人は、ほとんど全国同じ文化圏で、同じような言語で暮らしています

すると、言わなくてもわかるだろうという常識が多くあり、意思の疎通もかなり簡略化できています。

しかし、今後はそういった利便性は、どんどんと少なくなって行くでしょう
言わなくてもわかるというような安易な感覚では物事が進まなくなり、相手を信用して何かをする際には、細かいチェックやお互いの意思の確認が必要になってきます

こういったコストは、今後も至る所で発生していくでしょう

至る所で説明をするコストを受け入れるのか、それとも人を信じない社会をつくるのか

例えば、アメリカは個人の自由が非常に尊重されていて、ありとあらゆる価値観の人が鞍手しています
すると、社会のルールも大まかにしか決まっておらず、細かい説明というのもほとんどありません
電車やバスに乗る際にも、細かいルールを聞かされることはほとんどありませんし、そこで何をするのかも自由です
例えば、ニューヨークでは電車の中でパフォーマンスをする人をよく見かけますが、ああいった光景もルールを多く設けない社会だからこそのものです

今後の日本はどうなるのでしょうか
今のまま、人を信用しないコストを引き受け続け、細かいところで注意書きがあり、細かいチェックを受けて行くような国になるのでしょうか
それとも、アメリカのように説明を諦め、個人がやりたいことをする、良い意味で自由、悪い言い方では他人を信用していないような社会になるのでしょうか

多くの外国人を受け入れ始めている今の日本は、今後どちらの社会構造になっていくのか、選択をせまられているように感じます


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