雨の日に傘というシェアリングエコノミーは、なぜ日本で広まっているのか


先日、都内で雨の日にとある建物の中に滞在したのちに外に出ようとしたら、建物の入り口に置いておいた傘が無くなっていました

外はさっきまで霧のようだった雨がしとしとと音をたてるようになっていて、傘無しで出歩くのは難しそうです
傘がなくて困っていた人が、私の傘を持って行ったのでしょう
雨の日に傘がなくなるというのは日常茶飯事のことで、私も過去になんども経験していることなので特に不快に思うことはありません
いつも乗る電車が遅れていた時と同じように、ただ運が悪かったなという程度にしか感じません

雨の日の傘はシェアリングエコノミー

このような雨の日の傘は、シェアリングエコノミーとしてうまく機能しています

その瞬間に必要な人が、その場所にある傘を持っていくというのは非常に合理的です
必要な場所以外に傘を持ち歩く必要はありませんし、あらかじめ用意して置かなくても大丈夫です

現在のUberAirbnbが広まるずっと以前から、この近代のシェアリングエコノミーは日本の都会では機能しています

この雑な仕組みがなぜ広がったのか

この傘のシェアリングエコノミーは、考えてみると非常に雑なシステムです
無断で人の傘を持っていくというのは普通に考えれば窃盗ですし、困る人が必ず出てきます
人の傘を持っていくということに抵抗がある人も多くいるので、そういう人は必ず損をしてしまいます
平等でもなく、そして不満を持つ人も多い
しかし、この仕組みは日本でよく見かけます

世界でもトップクラスに犯罪率の低い国である日本で、この盗難事件は当たり前のように行われていて、そしてそこまで問題視はされていません

この奇妙な仕組みは、日本の他のものではなかなか見当たらない、雨の日の傘だけの独自のものに感じます

この状況が広がった理由は

  1. 傘の値段が安いので持っていっても罪悪感を感じにくいこと
  2. どこでも傘は買えるので人に迷惑をかける可能性が少ないと考える人が多いこと
  3. 雨という緊急事態なので、多少のことなら仕方ないと思ってしまうこと
  4. 傘立てにおいてあり、持ち主がその場にいない可能性が高いのでトラブルになりにくいこと

のような理由があるかと思いますが、何よりも私が感じるのは、個々の傘の所有感のなさです
現在、私たちが一般的に入手できる傘は、黒いナイロン素材の傘、もしくはビニールの透明な傘が大半で、それぞれにはっきりとした特徴はほとんどありません
大量生産された型なので、デザインに差がなく、他人の傘と自分の傘の違いがあまりはっきりと分かりません

この、なんとなく必要なので持っているけれど、これが自分独自のものである必要がないという所有物は、このような傘のように他人とのシェアがしやすいのではないでしょうか

今後、所有感のないものはシェアされるようになっていく

他人の傘を無断で持っていくということは決して良いこととは言えません

かといって、これからこのような雨の日の傘の持ち帰りが無くなっていくとは考えにくいですし、今後、もっと安い傘が販売されるようなことがあればこの状況はより広がっていくことでしょう

そして、このような、値段が安く、必要なので持っているけれど自分のものである必要がないものというのは、よりシェアされていくのではないでしょうか

例えば、携帯の充電器
いまでも友人の充電器を借りるのは当たり前ですが、もっとシェアをする場所が広がっていっても良いと思います
充電器は特に自分自身のものを使う必要性はありませんし、できれば持ち運ぶよりもその場にあるものを使えた方が便利です

こういった、他のものもシェアできる状況が広がっていけば良いのにと私は思います

日本人は、意外とシェアに柔軟な姿勢を持っている

誰が使ったものなのかわからないものを使いたくない。
そんな若干潔癖な性分が日本人にはあるのかなと感じることもありますが、雨の日の傘を見るとシェアには柔軟な姿勢を感じます

確かに、UberやAirbnbのように、高価なものをシェアしていくというのは経済的に見て合理的です。

しかし、そういった経済的な合理性というよりも、傘のように、自分のものでないもの、他人のものだとあまり感じないものの方が、シェアとして広がっていきやすいのではないでしょうか

雨の日に無造作に傘立てに置かれ、そして次々と道ゆく人に持っていかれる傘を見ていて、そんなことを感じました

ほいでは!


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