こんにちは、中山尚互(なかやましょうご)です。
先日からロンドンに滞在しています。
ご存知のように英語に敬語の表現はありません。
そのため、イギリス人の他人に対する接しかたは、日本のそれとは違う場合が多くあります。
敬語のない国
英語に敬語表現がないからなのか、イギリスやアメリカでは店員との会話も非常にフランクなものになります。
先日も、私が大荷物を持ってバスに乗ろうとしていると運転手から、君はアマゾンの配送員かい?僕の買ったものはあるかな?なんてジョークを言われてしまいました笑
日本では考えられないですが、それぐらいのことであれば英語圏ではよくあることです。
わたしも、その運転手のことをめんどくさい人だなとは思いましたが、特に不快だったり怒りの感情は湧いてきませんでした。
例えばアメリカでは東海岸では大学の先生を苗字で呼ぶけれど、西海岸ではファーストネームで呼ぶなんて多少の違いはありますが、それを破ったとしても、無礼だという感覚はあまりないように見えます。
非常識なやつだと思われることはあるでしょうが、言葉遣いを間違えたことで無礼だと怒るような人はほとんどいないのではないでしょうか。
無礼が多い日本
日本の敬語の文化が決して悪いとは思いませんが、それが守られないと無礼ということになるのは問題かと思います。
何だその態度は!と電車の中で男性が怒っている姿を大抵の人が見たことがあるのではないでしょうか。
確かに、日本では年上の人に対して敬語を使うと言うのは一つの文化になっているかと思います。
しかし、そこから外れてしまった場合にそれが無礼だと言うことになり、怒り出すと言うのはあまり合理的ではありません。
相手が敬語を使わなかったら、それはその相手が敬語文化に従っていないなと思えばいいだけのことです。
それは確かに非常識かもしれませんが、怒る必要はありません。
自分が想定していない態度を取られたことで、無礼だと言って怒り出すのは、なんだかあまり意味がないように思います。
無礼が人を縛り付ける
この、無礼という認識のために日本の社会は非常に暮らしにくくなっています。
少し前にネットで話題になりましたが、日本の企業では上司が押したハンコの隣に自分のものを押す場合、まるでお辞儀をしているかのように左に傾けて押すのが常識となっています。
こちらの例は非常に象徴的で、そのような習慣があり、それを守らないと無礼という決まりにはほとんど生産的な意味がありません。
これは、無礼だと思って怒る側も同様です。
相手の態度をこうあるべきと決め付けているから、想定していたものと違った態度を取られると怒りの感情が湧いてしまうのです。
そんなことで怒っているのは、あまり賢いことではありません。
無礼だと思われることを恐れてさまざまなしきたりに縛り付けるのは、ただ人を型にはめ込んで不自由にしているだけです。
この世に無礼なことなどないのではないか
突き詰めて考えると、この世の中に無礼という概念はないのではと思うことも私はあります。
誰しもが自由に生きている世界で、相手に自分に対する態度を強制することはできません。
それぞれの他人に対する態度があり、それがその人の個性なのだから、従わなければならないルールなどなくてもいいのです。
まとめ。人を縛らない、寛容な社会に
相手がどのような態度を取っていても、それを受け入れる。
たとえそれが自分の想定していなかったものだとしても怒らない。
それはそこまで難しいことではないでしょう。
そして、そんな簡単なことができるだけで、日本の社会はより生きやすくなるのでは。
そんなことを、ロンドンでバスに乗りながら考えました。
ほいでは!