話せばわかると思っているから、日本は説明過剰になる


こんにちは、中山尚互(なかやましょうご)です。

私はこれまで、80カ国以上を旅行しており、現地では日本人が多く集まるいわゆる日本人宿にも泊まってきました。

日本人宿は、いつも過剰説明

私が日本人宿に泊まっていつも感じるのが、スタッフがとても丁寧に説明をしてくれることです。

キッチンの使い方からトイレの場所のようなハウスのルールから、鍵の開け方、そして宿の近所にあるオススメのレストランからスーパーマーケットの場所まで、親切に教えてくれる宿がほとんどです。
長旅で疲れた体にはそんな心遣いが嬉しく、非常に安心して滞在をすることができます。

しかし、それと同時になぜ日本人宿に限ってここまで説明が多いのだろうと疑問を持ちます。
私が泊まるような安宿では、たいていが受付で支払いをすませるとシーツとタオルをもらってベッドに行くというのがほとんどで、詳しい説明を受けることはあまりありません。
海外の水回りは日本と形が違うので使い方がわからなかったりすることが多いのですが、そういう場合も事前に説明はないので手探りで方法を探すしかありません。

宿に限ったことだけではなく、電車のアナウンスでもそうです。
日本の電車に乗っていると、常にアナウンスが流れていることが気になります。アナウンスでは常に電車の運行状況や次の駅名から路線の説明、そして乗り降りの方法までさまざまなことがアナウンスされれています。
こういった説明が多い電車のアナウンスは他の国では聞きません。たいていが次の駅名が知らされる程度のシンプルなもので、多くの情報は伝えられません。

電車のアナウンスでも、日本の説明過剰さは見えてきます。

オランダの電車。車内のアナウンスはほとんどありませんでした。

話せばわかるのは、普通ではない

こちらの記事でも書きましたが、話せば相手が理解できるというのは案外普通のことではありません。
他民族、多文化を相手にすると、たとえ言葉が通じても自分の常識が通じず、思っていることがあまりつたらわないということがよくあります。
お互いの認識や知識が違うと、同じ説明を受けても理解ができないことがあるのです。

例えば、私は昔中国でホテルまでの道を尋ねたことがあります。
相手は中国人でしたが英語を流暢に話すので、私たちは問題なく会話をすることができ、近くに行けば看板があるからすぐにわかるということで私はホテルまでの道を知ることができました。
しかし、説明された場所にいってもなかなかホテルが見つかりません。
しばらく時間が経ち、私はようやく自分の目の前にある○○酒店、というのがホテルだということに気づきました。
私はそれまで、ホテルなのだから宿、もしくはそれらしい漢字が書かれている建物を探せばいいだろうと思っていました。中国語でホテルが酒店だということは知りません。
私に説明をしてくれた中国人は、中国語でホテルが酒店だということは当たり前で、私もわかっているのだと思っていたのでしょう。
会話では理解し合っていても、お互いの文化が違うので私は彼の説明を理解することができていませんでした。

日本人は話せば他人と意思の疎通ができるという状態があまりにも普通になりすぎているように感じます。
日本ほど、自分の言っていることが相手に100パーセント伝わるのが当たり前の国はそうそうありません。

だからこそ、事前に分かっていて欲しいことは全て説明をし、他の国から比べて過剰とも思えるほどにいろいろなアナウンスがある社会ができているように感じます。

説明とは、ルールが増えていくこと

説明が多いということは、こちらに守ってもらいたいことがそのぶん増えていくことになります。
こちらの記事でも書きましたが、こうしてすべてがマニュアル化かされてしまうと、非常に窮屈です。

まとめ。コミニュニケーションに諦めも必要では

日本以外での簡単な説明は、完全に理解しきれないのだからという、ある意味で諦めのようにも感じます。
これは決してネガティブな意味ではなくて、相手を信頼するということでもあります。
ルールを厳格化するのではなく、ある程度の遊びをつくって、利用者に任せるというのも一つの方法ではと感じます。

ほいでは!


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする