インド、中国、タイ。禅を追いかけてきた私


こんにちは、中山尚互(なかやましょうご)です。

私はこれまで80カ国ほどを旅行してきましたが、旅行のテーマの一つとして、仏教があります。

中でも禅に関しては、インド、タイ、中国などで現地の瞑想に触れて、そして体験してきました。

日本の仏教は、インドとは全く別のもの

こちらの記事でも紹介しましたが、私はインドのブッダガヤにて長期の瞑想の体験をしました。
そこで何よりも衝撃だったのが、日本に伝わる仏教とインドにある原始仏教とはかなり異なっているということです。

仏教の基礎的な知識ですが、インドを発祥とした仏教はスリランカやミャンマーを通じて広まった南方仏教(上座仏教)とチベットを通じて中国に広がった北方仏教(大乗仏教)があります。
日本で私たちが知る仏教は中国の影響を強く受けた大乗仏教です。
私が慣れ親しんだ、仏に祈り、葬儀や盆で僧侶を通じて先祖を思うしきたりなどは、すべて大乗仏教のものです。

私がインドで体験をした瞑想は、インドからミャンマーに広まっていった原始的なスタイルでしたが、そちらにはそのような先祖との繋がりに重きをおくような思想はなく、かなり個人的なものです。
一人で座り、他人との会話をすることなくひたすら呼吸を整えて瞑想をする。
その中でひたすら自分の感覚、思想と向き合うという作業は私が慣れ親しんだ日本の仏教のなかにはないもので、非常に論理的に人間の心と向き合う、私の持っている宗教観とは大きく違うものでした。

そんな新鮮な発見に強く興味を持った私は、インドやタイなどで瞑想に何度かチャレンジしてきました。

禅とは、言葉で表すことができない

インドやタイの長期の瞑想の体験で、私は特異な体験をしました。
恐れ多い話ですが、私が得た瞑想対戦はきっとそれをを突き詰めていくと仏教でいう悟りであり、禅なのかもしれません。
私はまだその入り口でほんのわずかに足をふみいれただけでしょうが、その先にはとてつもない広く世界が広がっていることが予想できるような、壮大な体験でした。

しかし、ブログに書いていてこのようなことを言うのは心苦しいですが、その体験を文章にすることができません。
その体験は私が日常で感じるものからかけ離れており、その状況を描写する言葉はこの世界に存在していないのでしょう。

言葉とは、私たちが体験できるものから生まれました。
「暑い」と言う言葉は、私たちが日常的に暑いと言う感覚を得ることができ、そして他人と共有することができるから言葉として成り立っています。
しかし、私が得た瞑想体験はそんな日常からぽろりとこぼれ落ちたような、人間が認知して言語化できる体験から外れたものでした。
この状況を言葉で表すことは到底できず、他人に伝えることはできません。
私の脳の中で起こった、ひどく限定的なものです。

禅とは、非常に個人的な体験

瞑想体験の中で私が得たものは、ひどく個人的なものも多くありました。
深い瞑想状態のなかで、過去に記憶や印象深いものが脳の奥底から湧き上がってきて、現在の感覚と結びつきます。
そこで得る体験は、他人には体験しきれない、自分独自のひどく個人的な体験です。

例えば、私は子供のころ、スーパーマーケットで迷子になったことがあります。
深い瞑想体験でその時の感覚が強い臨場感とともに湧き上がり、あの時の自分の感覚を再び体験しました。この感覚は、私と同じ記憶を持つ人がいない限りできないでしょう。

座り、目を閉じてひたすら呼吸を整える瞑想は、そんな自分の中にある個人的な体験を探っていく作業です。

強いて言うのであれば、禅とは、自分の感覚を研ぎ澄まして正しい方向に導くこと

瞑想をしていると、自分の感覚が研ぎ澄まされてきます。
些細な音にも敏感になりますし、着ている服の質感、自分の体の状態などを強く感じることができるようになります。
そう行った身体感覚の中から、何が自分にとって心地よいのか、正しいのかを選び取り、さらに自分の精神的な感覚の中での正しさを探っていく作業が、禅なのではと私は解釈しています。

瞑想の手助けとなるもの

瞑想とは体験です。
ただ座って目を閉じるだけであれば誰にでもできますが、特異な体験にたどり着くには長い時間と集中力が必要です。
私はその時には二週間をかけましたが、そんな時間をかけるのはなかなか現実的ではないでしょう。
実際に体験しなければ瞑想の本質はつかめませんが、読書をして瞑想の知識を得ることで、瞑想に多少の効率が良くなったり、感覚を掴みやすくなると思います。

 
 

まとめ、まずは座ること

禅というと具体的になんなのか非常に捉えづらく、具体性をないので理解をするになかなか困ります。

私は、禅を理解するにはまず座り、わずかな時間でもいいので目を閉じて呼吸を整え、自分一人の世界を作ることだと思います。
人間の脳は不思議なもので、ただそうしているだけでも思考は変化していき、これまでに気づかなかったことに気づくことができます。

思考を止める、というのが瞑想では基本的なことですが、その段階にいかずともただ座って目を閉じるだけで、時間とともに人間の自然なあり方に意識は向かっていくでしょう。

夜眠る前のわずかな時間でもただひたすら座ってみること、そうすれば多少の世界は変わってきます。


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